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「ああ、十勝に帰って農業をしよう」

鎌田農園のこれからと、原点の話

最近、鎌田農園は次の段階に入ったと感じています。

にんにくを主軸にし、加工品にも挑戦し、食卓の向こうの声が届くようになった。
ここまで来られたのは、支えてくれた人がいたからです。

一方で、十勝の畑作農業を取り巻く環境は、
これまで経験したことがないほど厳しい時代に入っています。

異常気象。資材価格の高騰。先の読めない経済状況。
正直に言えば、簡単な時代ではありません。
それでも、歩みを止めるわけにはいかない。

だから一度、自分の原点と、
遠回りや失敗も含めて、
いまの想いを正直に書いてみようと思いました。

格好いい話ではありませんですし、
迷いや判断に悩んだことも何度もある。

それでも続けているのは、
この土地で、本物をつくりたいと思っているからです。

これから出会う人たちと、
一緒に歩んでいきたい。

そのために、まずは自分の言葉で伝えておきたい。
そう思って文章を書きました。

第1章 原点に帰るという決断

子どもの頃の農繁期は、いまほど機械化も効率化も進んでいなかったので、当たり前のように家族総出で畑で仕事してた。
長男として「いずれ継ぐ」という空気が世の中にあることは、小さい自分でもわかってました。
それは押し付けられた重さというより、暮らしの中に自然に溶け込んだ“流れ”みたいなものです。
両親は本当によく働いてし、朝から晩まで黙々と手を動かして、土と向き合っていました。その背中を見て、素直に尊敬してました。

そして、晴れた空の下で自然を相手に働く清々しさや、胸がすーっと開けるような何とも言えない解放感が好きで、いま思えば、私が農業に求めていた“原点”は、あそこにあったのかもしれない。
両親に「ありがとう」と言われて必要とされる嬉しさ。気持ちよく仕事をする楽しさ。土の匂いと空の広さの中で生きることの気持ちよさ。
ただ正直に言えば、当時の私は「これになりたい」という強い夢を持っていたわけじゃないし、どこかで「自分が継げば親が喜ぶだろう」と思って、同時に「本当は何になりたいのか」を探すことに、蓋をしていたのかもしれない。

高校は農業高校に進学し、同じ境遇の友達と笑い合って過ごすうちに、人生の道筋は少しずつ決まっていくのを感じた。でも、それでよかったし間違いないとも思ってました。かといって高校を卒業してすぐ、農業を継ぐ覚悟はまだなかった。ほんの少し時間が欲しかったのが本心だった気がする。

それで大学へ進学し、土壌改良の研究に関わるようになり、教授の助手として、中国の片田舎で二ヶ月ほど過ごしたことがある。
そこで見た風景衝撃的だったし、見てみたい景色でもあった。

地平線まで続く畑。そして、その上に広がる青空。

その景色を見た瞬間、遠い異国のはずなのに、自分が生まれ育った風景と重なった。
そのとき気づいた。これが原風景というやつかも?私はずっと、あの原点を探していたんだと。

——ああ、十勝に帰って農業をしよう。

私にとって農業は、義務ではなく生き方だった。選んだというより、原点に帰った。

第2章 探求性というDNA

鎌田農園には、継承されてきた気質ともいうべきものがあります。それは「探求性」です。

物事の真相や価値、在り方を深く考え、筋道をたどって明らかにしていくこと。
うまくいったら「よかった」で終わらせない。
うまくいかなかったら「天気のせい」で終わらせない。
そこに必ず理由があると信じて、問い続ける。

鎌田農園のロゴにも表されてます。曲がりくねった道を表現し、一直線ではない。
遠回りもするし、迷うこともある。
でもその道は、真理を求めて進む道。
晴れた日にはお天道様に感謝し、厳しい年には学ばせてもらう。
自然は敵ではなく、問いを与えてくれる存在です。

「すべての人に本物を。」

この言葉は、ただのキャッチコピーではありません。
自然と正直に向き合い、ごまかさず、積み重ねてきたものを届けるという約束です。

それが鎌田農園です。

第3章 違和感の正体

父の代から、大根づくりは始まりました。それから30年続けてきました。

私が就農した頃は、まだ生産量も多くはなかった大根も、少しずつ面積を増やし、出荷量を増やし、最盛期には年間100万本を生産するまでになりました。
量を作る農業でした。

誤解してほしくないのは、あの頃も手を抜いたことは一度もないということです。
土の状態を見て、天候を読み、少しでも品質を上げようと探求し続けていた。
誠実に、真面目に、できることは全部やっていた。
第2章で書いた「探求性」は、あの頃も確かにありました。

ただ、構造が違った。
どれだけ品質を高めても、価格は市場が決める。
市場相場が上がれば安堵し、下がれば一気に苦しくなる。
どこかの産地が天候不順になれば価格が上がる。
誰かの不作が、自分の追い風になる。
そこに、ずっと違和感がありました。
誠実に作っても、価格に直結しない。価値よりも相場。作物の本質よりも、需給の波。
努力と結果の間に、自分では埋められない距離が歯がゆかったのを忘れません。

100万本を出荷するには、寝る時間を削るしかなかったし、家族総出で働き、今思えば余裕はなくなっていた。
家族と一緒に楽しく働くはずだった農業が、いつの間にか“こなす仕事”になっていた。

探求はしている。
努力もしている。
でも、どこかで食い違っていく。

今変わらないと鎌田農園がなくなってしまう。限界はそこまで来てました。
自分が目指した農業と離れていってしまう。
「この農業は、自分の原点につながっているか?」
子供たちに誇れる農業をしているのか?

もう転換するしか考えられなくなっていた。

誠実さを捨てたのではない。探求をやめたのでもない。
むしろ、それを守るための決断でした。
量の農業から、価値の農業へ。

ここから、にんにくという新たな挑戦が始まったのです。

第4章 にんにくという布石

大根をきっぱりやめて、にんにくにすべてをかけた――そんな簡単ではありません。

実際はもっと地味で、もっと手探りでした。
大根を主軸にした経営は続けながらも、このままでは限界が来るだろうという感覚が、どこかにずっとありました。

市場価格に左右される構造。
労力と収益のバランス。
家族の疲弊。

そう考えたとき、にんにくの試験栽培を始めました。いきなり大きくはやらない。
まずは小さく、試す。

土との相性はどうか。
気候との相性はどうか。
自分の技術でどこまでいけるのか。

最初の5年間はうまくいきませんでした。
全然思い通りいかないし、発芽不良が続き、病気も出る。
当時は、種子の重要性を本当の意味で理解していなかった。

土や肥料、管理ばかりに目がいき、種子の大切さに気付くまで、5年を棒に振ったと言ってもいい。

後悔してもしょうがないが悔しかった。でも同時に、ここに答えがあると感じていました。

簡単ではない。だからこそ探求できる。
本質に近づかなければ価値にはならない。

引き返せない背水の陣のような切迫感と、可能性を見いだせず、このままでは終われない。
同時に、未知を解き明かしていく好奇心があった。
少しずつ面積を増やし、試行錯誤を重ね、原因を一つずつ潰していく。

時間をかけて、自分の農業を少しずつ組み替えていった。
量の農業から、価値を積み上げる農業への布石でした。

探求をやめないための選択と原点を守るための決断。

ここから、鎌田農園の方向は確実に変わっていきました。

第5章 変わる農業、変わらない本質

農業を取り巻く環境は、大きく変わっています。異常気象は当たり前になり、猛暑や豪雨も珍しくない。
資材価格は高騰し、これまで通り「作って出す」だけでは持続できない時代です。
正直に言えば、ここまで苦しい時代を就農して30年間味わったことがない。

でも、こういう時代だからこそ問われるものがある。
何を変え、何を変えないのか。
栽培方法も、販売方法も、消費者との関わり方も変わっていく。
いまはSNSを通じて直接つながれる時代です。
作って終わりではない。

どう伝えるか。どう関わるか。
そこからブランドは生まれていく。

私にとって一番大きな変化は、食べてくれた人の声が聞こえるようになったことです。
「美味しかった」その一言を直接聞ける。
これほど嬉しいことはありません。

市場に大根を出荷していた時代、顔の見えない野菜を作っていたんだと思う。

美味しいと言われていたとしても、私には聞こえてこないし、
本当に忙しかった。
向き合うのは数字だったし、お金には変わる。
でも、その先が見えない。どこか虚無感がありました。

今は自分の野菜を食べた人の顔が浮かぶし、声が届く。
その喜びと達成感は、何にも代えがたい。
もちろん経営は大事です。でも、お金だけでは続かない。

逆に変えてはいけないものは、本物に対する姿勢です。
どれだけ戦略を考えても、作物への情熱を失った瞬間にすべてが崩れる。
農家の本質が問われます。積み上げてきた信頼は、一瞬で瓦解する。

だから忘れてはいけない事、
「いま、自分は自然と向き合えているか?」
「お天道様に胸を張れる農業をしているか?」

晴れた日には感謝し、厳しい年には学びを得る。
自然は理不尽だが、常に問いかけ、人生を豊かにする。

変化の激しい時代ですが、探求性という気質を引っ提げて、
曲がりくねった道でも、本質に近づく努力を続ける。
その先にある本物を届ける。

「すべての人に本物を。」

第6章 黒にんにく万能タレという挑戦

黒にんにく万能タレは、私たちにとって、ただの商品ではありません。

農業から一歩進んだ、経営の決断でした。
野菜を作る。
それを出荷する。
それが農家の仕事です。

でも、にんにくを作り続ける中でもう一歩踏み込めるのではないかと考えるようになった。
にんにくは体に良いスタミナ野菜だということは、多くの人が知っています。

でも正直に言えば、皮をむくのが面倒。
火を通すのに手間がかかる。
忙しい現代の生活の中で、調理のハードルは意外と高い。
それなら、もっと簡単に、もっと手軽に、それでも美味しくて体に良いものを届けられないか。
食卓の向こうにいる人の幸福を、もう一歩深められないか。
そこから、加工品という選択肢が生まれました。

野菜を作る農家が、野菜を使った加工品をつくる。
農業の延長でありながら、新しい事業でもある。
マーケティングの世界では、用途が特化したわかりやすい商品が常識です。
でも私たちは、あえて「万能タレ」と名付けました。

料理が得意な人だけでなく、料理が苦手な人でも。
特別なレシピがなくても、どんな料理も簡単に美味しく、しかも体に良い。
そんな存在を目指しました。

試作を重ねる中で、味に敏感な息子が「これ、うまい」と言った。
その一言で、商品化を決めました。
そして12月に販売開始。
正直、ここまでの反応は想定していませんでした。
1か月後には、ほぼ完売。
黒にんにくの製造が追いつかず、一時売り切れになるほどでした。

購入してくれた方が、一人暮らしの子どものためにリピートしてくれたり、ちょっとした贈り物として複数購入してくれたり。
SNSで「美味しかった」と投稿してくれる人もいた。

あの頃、大根を市場に出していた時代には味わえなかった感覚です。
作ったものが、誰かの暮らしの中に入り、誰かの大切な人に届いている。

感謝しない日はありません。毎日「有難い」の意味をかみしめてます。

新しい挑戦は、間違っていなかった。

大量の野菜を消費地に届ける農業ではなく、価値を届ける農業へ。
農業という生業を崩すのではなく、そのまま次の時代へ進める。
黒にんにく万能タレは、その象徴です。

第7章 十勝の食文化をつくる

鎌田農園の「至高にんにく」は、ただのにんにくではないと思っています。

従来、にんにくは脇役でした。
刻んで香りづけに使う。
臭み消しに使う。
効能を期待して摂る。
にんにくそのものを味わうというより、香りや働きを“利用する”存在だった。

でも、私はそこに違和感がありました。にんにくは、主役になれる。

丸ごと焼いたときの、あのホクホク感。
揚げたときの、お芋のような甘み。

あれを知ってしまうと、もう脇役ではいられない。
鎌田農園が目指しているのは、にんにくを新たな食文化にすることです。

「にんにくはこう使うもの」という固定概念を越えて、にんにくそのものを味わう料理を広げたい。

丸ごと焼く。
大胆に揚げる。
主役として食卓に置く。

にんにくが当たり前に主役になる食卓。
それが広がれば、選択肢は増え、食文化に広がりが生まれる。

そしていつか、ジャガイモやにんじんのように、十勝を代表する野菜の一つとしてにんにくが語られる存在になってほしい。
十勝といえば、にんにく。
そう言われる未来を、本気で描いています。

十勝は、野菜が育つ環境に恵まれています。
昼夜の寒暖差が、美味しさと栄養を閉じ込める。
日照時間の多さと爽やかな風が、野菜を健やかに育てる。
にんにくに限らず、この土地で育つ野菜は本来、大きな可能性を持っている。

さらに言えば、十勝にはもう一つの力があります。
明治・大正時代に開拓されたこの土地には、フロンティア精神が根付いている。
何もないところから切り拓いた歴史。
新しいものに挑戦する魂。
その土壌が、いまも生きている。
私たちも、その延長線上にいる。

十勝がいつか「食の聖地」と呼ばれる日が来たとき、その一翼を担う存在でありたい。
愛され、必要とされ続ける農家であること。

にんにくを、新たな食文化にし、

「すべての人に本物を。」届ける

それが鎌田農園の未来です。

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